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Sokifblog
Sokif
 
December 19 Sat, 2009 (Diary)
 
先日記載した、武満徹さんのノーベンバーステップスは、日本を代表するオーケストラ楽曲で、(生でも何回か聞いたことありますが、)なんど聞いても、良い曲だなぁと思います。

武満さんは、よく、自分が芸大などを出ていなく、がっちりした教育を受けなかったことに対して、とてもコンプレックスを抱き、自尊心を傷つけられないようにしていたそうです。(実際、親交のあった方の話からもそんな感じだったと聞きます。)

でも武満さんは、がっしりとしたアカデミック教育を受けなかったために(清瀬保二などに師事しているため、きっとハーモニーやソルフェージュなどなど、理論の基本的な教育は受けていたと思いますが。)、逆にああいった独特の世界を築くことができたのではないかとも思います。

音楽など、ものを作る行為は、自尊心や虚栄心などに左右されるべきではないようにも思いますが、その人のもっているさまざまな感覚が作品を左右する1つの大きな指標だとしたら、もしかしたらそういった自尊心や虚栄心も独特の感覚を磨き上げ、素晴らしい作品をつくる糧になるのかもしれないと思いました。

以前、芸大美術の講師か助手をしている人が、アカデミックな環境の中に入って初めてわかったことだけれども、また、ここ(大学)にいるのにこういうことを感 じるのは、はなはだ遺憾だけれども、こういう(アカデミック)環境の中から真に独創的なものや新しいものが生まれることはないのではないかと、感じてい る、と言っていました。


こういう感覚は、経験したことがないとわからないことなのかもしれません。
でも、そういうこともあるかもしれないとも思ってしまいます。
もしかしたら、教育になった瞬間や権威になった瞬間に、それら、ものを作ることの感覚を保守的な思考によって、とても縛り付けるのかもしれません。ある種、そこに本質的な自由な発想が消えて行くというようなことも起こりうるのではないかと。。。
(僕の好きな作曲家や、その他様々所謂アーティスト?は、そういう所謂アカデミックな環境から逸脱したところから出てくるようにも思われます。。。)

ほんとうにすごい良い作品は、どんな劣悪な環境で観たり聞いたりしても、それがとても拙い技術でも、その本質的な良さは、ある種変わらないように思いますし。