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Sokifblog
Sokif
 
March 08 Mon, 2010 (Diary)
 
菊地成孔さんの「官能と憂鬱を教えた学校」をぱらぱらと読み返していたのですが、この本は、それまで読んだことのある、譜例と記号を並べたポピュラー音楽理論書とは違い、ポピュラー音楽理論の記号の裏にある考えまで、説明されているので、とても興味深かったです。
(例えば、裏コードのドミナントモーションについての説明や、ポピュラー音楽のコーダル・モーダル音楽に関する考え方などなど。クラシックの考え方とはところどころ違う面もあるようなので、なるほど、と思いましたし、他の本よりわかりやすい気がしました。)

僕の個人的感想になりますが、ポピュラー理論は、クラシックの理論と比べると(ポピュラー理論もクラシックの理論が下敷きにあるのですが、)、簡易的な記号化が進み、そこに内包する複雑な音組織の連結やヴォイシングにはあまり触れず、より理論を学びやすくした反面、逆に記号化をすればするほど、その記号自体が複雑になるという(矛盾する)面があり、あくまで譜面に書くcomposeを重視するよりも、演奏(またアドリブ)を重視する側面が強い理論なのかな、と思いました。
(みんなで楽しんで音楽をつくりましょうやりましょう!!ということを重視しているというか。。。クラシックの作曲は基本1人でやるものなので)

僕が読んでいて特に興味深かったのは(上げれば切りはないのですが)、サンプリングミュージック(DAWを使ったコラージュ的手法)についての言及や、言語とリズムの関係、
「音楽を記号的に分析して行くことには、限界がある。」
「記号化を拒むような領域に魅力の本質があったりします。」
「和声は変わって行くけど、ほとんど機能的にはなんの関連もなく、ただただ、美しく流れているだけ。」
などという発言が目立つようになってくる後半です。
正直、音楽理論は、学習を進めて行くうちに、楽理では説明できない領域に行き着くと思います。。また、そこまでやらなければ楽理に縛られ、音楽を作る上で弊害になる可能性もあると思います。。。

この本の最後で菊地さんが、「(人と一緒に音楽をやると、)うまく行かなくてむかついたりとかっていうものが、一方から入ってきて、で、それと同時にすごく楽しいこととか、予想もしなかった音とかさ、そういったものがまた反対側から音楽の中に入ってくる。」(抜粋)「とにかく、大切なことは、人と一緒にやる、すげーめんどくさくて嫌なこともあるけど、そこがいい。」(抜粋)と言っていました。

僕の勝手な解釈ですが、これがポピュラー音楽理論の根本的存在理由の1つのような気がしました。クラシック音楽は、作曲にしろ演奏にしろ、すべてを(個人で)制御しようとする傾向が強いと思うので。
みんなで音楽を楽しみましょう!そのためにめちゃめちゃにならないように、とりあえずの規則を作りましょう、というか。
その発想は、僕はすごく良いな〜と思います。とにかく、みんなが素直に良いと思う音楽を目指すというか、そうありたいものです。。。

だから、ポピュラー音楽は、みんなに親しまれているんだな(たぶん)と、感じました。

ただ、今のDAWによるポピュラー音楽(特に電子音楽)は、クラシックのコンポーズと同じような傾向(個人志向)が強くなっているように感じます。またみなで楽しみながら踊る為の音楽という意味においては、ポピュラーとクラシックという音楽の両傾向を折衷しているようにも感じます。
絵画は1人で基本描くものですが、僕はそういう音楽もとても必要だと思いますし、個人的にとても好きです。